2011.10.23

『あなたはしもべですか 』(イザヤ14:12〜15、ルカ福音書17:5〜10) 
 先週、42年間に亘りリビアという国を統治してきた独裁者が終わりを告げました。革命家としてリビアアラブ諸国の解放をもたらす英雄とされていた若い指導者は、初心を忘れ、権力への欲望と高ぶりによって哀れな末路を迎えることになったのです。
 先週の聖書の学びでは、イザヤが活動していた当時の世界の国々に対する神の裁きのメッセージを分かち合いました。当時の世界という舞台で力を振るっていた国として、アッシリア帝国、また、バビロン帝国、エジプトなどがありましたが、それらの国々への神の言葉は共通して裁きのメッセージが語られています。特に、その中心的な神のメッセージとは、“世界を支配される方は神だけであり、国々は神の御手にある道具に過ぎないこと”というものでした。  
 エレミヤ書18章には陶器師が登場します。陶器師が粘土で一つの器を作っても、気に入らなければそれを壊し作り直すように、陶器師なる神は国々を断罪し、抜き、壊し、滅ぼされると教えます。ここで陶器師は創造者なる神であって、器はイスラエルと諸国を表しています。つまり、世界のどのような国々も神の御手の中にある道具に過ぎないことを教えているのです。しかし、国々や支配者たちはそのことを認めようとしません。そして自分の国が永遠にでも続くかのように、高ぶり、間違った力を振るっているのです。聖書は、その高ぶりと傲慢のゆえに神は必ず裁かれることを宣言されるのです。
 バビロン帝国も、アッシリア帝国も、ギリシャも、ローマも、・・・世界の歴史において登場したどんな国であっても間違いなく滅びの歴史を辿っていきました。そのことをイザヤははっきりと語っており、神の裁きがどれほど厳しく確かなものであるかを教えているのです。今日の聖書はまさにそのような世界に向けて、“歴史の主、世界の主は神である!”という宣言をしているのです。
 イザヤ14:12〜15の内容は昔からサタン(ルシファー)を描いている箇所として知られています。ここでサタンは、神によって美しく尊く造られた天使であったが、サタンは傲慢になり、自分が神の上に立とうとし、神に反逆しやがては陰府に落されたと記されています。サタンの言葉の中に強調されているのが、“わたしが!”という言葉です。“わたしが、わたしが!”サタンの高ぶりの表現です。しかし、創造者なる神がわたしたちに求められるのは、“わたし!”でなく、“神の恵み、神ゆえに!”という謙遜と従順の言葉です。もし、生活する中で、皆さんのうちに“わたしが!”という思いが強くなる時には、“あ、サタンが働いているんだ!”と思い、イエス様の助けを祈りましょう。そして、十字架のイエス様の謙遜と従順を思い起こすことです。
 本日のもう一か所のルカの福音書の本文の中のしもべは告白します。「わたしは取るに足りないしもべです」と。わたしたちのアイデンティティは神の「道具」であり、「しもべ」にあります。これを忘れるところで、神との隔たりが生じ、神と敵対するようになるのです。“あなたは神のしもべですか。”聖書は毎日わたしたちに質問します。今日も、明日も、サタンの誘惑に打ち勝つために、イエス・キリストの十字架の謙遜と従順を心がけながら助けを求めるわたしたちでありますように・・・。ハレルヤ!