2012.1.22

 『 アーメンの人生 』(Ⅱコリントの信徒への手紙1:18〜22)
 今日の御言葉で使徒パウロはコリント教会の信徒たちの信仰における二重性を告発しています。彼らは必要に応じて、時には「しかり」と言い、時には「否」と言っていました。コリントの教会の人たちは状況や環境によってその心を変えていたのです。そのようなコリント教会に向かってパウロイエス・キリストの姿を借りて「アーメン」の信仰を生きるキリスト者になることを教えています。
 イエス様は状況によって自分の立場を変える方ではありませんでした。イエス様の生涯は徹底的に神の御心に対する「しかり」でありました。ヨハネの黙示録3章14節では、イエス様を『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方』であると呼んでいます。なるほど、この言葉ほどイエス様をよく説明している言葉はないのではないかと思います。創造者なる神との約束を破って“自分の欲望”に走ってしまったのが、最初の人間アダムであったならば、二人目のアダムであるイエス様は神との約束、また、神の御心を成し遂げるために自分の願いをすべて捨てられました。33年間の公生涯において、イエス様の唇からはアーメンが途切れた時はありませんでした。
 それでは、わたしたちの日々の歩みと人生が、神の御心に対して“アーメン”となるためにはどんな備えが必要でしょうか。まず、神の真実に対してのわたしたちの揺るがない信仰が求められるでしょう。そしてそれは、祈りと御言葉による神との交わりを通して得られます。わたしの思いや計画より、神の御心とご計画が最善である確信をもつことで、わたしたちは揺れ動くことなく確かな真理の道をひたすら歩むことになるのです。アーメン、アーメン、と口先だけの告白でなく、全人格と人生をかけてのアーメンを生きる人と教会を通して神は大いなる栄光と御業を成し遂げていかれることでしょう。あなたはアーメンの人生を生きる心の備えができていますか。ハレルヤ!
※アーメンの意味:“その通りです。信じます。そうなりますように。”