2012.1.29

 『 召 命 』(エレミヤ書1:4〜10)
 今日与えられた聖書は、預言者エレミヤが神から召命を受ける場面です。エレミヤは「涙の預言者」または、「孤独の預言者」と呼ばれる預言者です。彼が活動していた時期はイスラエル王国の歴史において暗黒とも言われていた時であって、神はエレミヤという20歳前後の弱弱しい若者を召され、神の言葉を伝える預言者とされたのです。しかし、青年エレミヤは、神からの召命に対して少し戸惑っているような姿を見せています。“わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」”(エレミヤ1:6)
 エレミヤとしては、預言者という働きを望んだことも、求めたこともなかったのです。すべては神の主権的選びによるもの、しかも、エレミヤが語るべき預言の内容は、イスラエルの国の滅びと裁きというとても厳しいものでした。これは若者であったエレミヤにとって大きな重荷になったことでしょう。
 預言者は「神から預けられた御言葉を人々に伝える人」です。でも、当時の多くの偽預言者たちは神からの御言葉でなく、権力者や民が聞きたがる「平和、祝福」と言った甘い言葉を語り続けていました。真の神の言葉が聞こえなくなった時代、しかし、神は一人の若者を預言者として選ばれたのです。
 神の選ばれる人は、特別な能力を持つ人でも、確信に満たされる人でも、深い信仰をもっている人でもありません。むしろ、何も持ってない人、自分は何もできないと思っている人、恐れおののく人を選ばれます。神の基準は今も同じです。その神の基準にはあなたとわたしも含まれるはずです。ただ、神の言葉を謙遜に受け入れるか否か、自分のことより、まず、神と神の国を求める心をもっているか否かにあるでしょう。
 わたしたちは各自イエス様からの賜物と召命をいただいています。それは一人として例外はありません。あなたへの神の召命は何でしょうか。その召命が小さく目立たないかもしれません。しかし、召命に忠実に応えようとする時、主の栄光があなたの人生の上に輝くでしょう。ハレルヤ!