2012.2.12

 先週のある日、一人のサラリーマンの青年が教会を訪ねてきました。そして、“聖書を読みたいので一冊いただけないでしょうか。”と恥ずかしそうに声をかけてくれました。富山に来て5年が経っているけれども、仕事がうまく行かず、心も病んでしまい、病院に入院したこともあるという話をしてくれました。彼の目から映ってくる切なる希望の光への渇望を感じながら、彼と手を合わせて祈ってから見送りました。
 月日が流れるのは早いもので、大震災が起こってから、もうすぐ一年が経とうとしています。日本の国は様々な面において突破口が見えない状況・・・。そんな中、疲れている人々の叫び声が町中を覆っています。“疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。”(マタイ11:28)と人々を招いておられるイエス様の御声を発信していくべき、わたしたち救われた神の群れです。また、“人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる”(マタイ4:4)という変わった生き方の恵みを味わい、その恵みの神秘へと人々を招いていく群れでありたいものです。シャローム