2012.2.26

『 代え難い喜び 』(マタイによる福音書13:44〜46)
 今朝の聖書本文は「出会い」についての話です。そして、その出会いの対象が「神の国」ということに意味があります。イエス様は「神の国」との出会いを「畑に隠されている宝、また、高価な真珠一つを見つけた人」という二つのたとえをもって紹介されます。「神の国」との出会いこそ、驚きと興奮をもたらす価値あるもの、この世の何ものにも代え難い喜びであるとイエス様自ら教えられるのです。
 「神の国」との出会い、皆さんは経験されていますか。神の国を生きるとは、神様のご支配のもとに生きること、否、神の国に生かされてあるということです。このことは、今から永遠までイエス・キリストを信じて神とともに生きるということ、このことがわたしたちにとって、本当の生きる力の源、生きる目的となっていくべきなのです。特に、大切に心に留めなければならないことは、神の国は、何ものにも代え難い、貴い宝であること。全財産を売り払ってでも手に入れなければならない、最も大事な宝物であることです。真の命の源であり、生きる目的であるということなのです。
 弟子たちは、この宝の発見として、イエス様に出会い、すべてを捨ててイエス様に従ったと聖書が語っていますし、この弟子たちに起こった出来事は、信仰において、わたしたちにも同じく起こる出来事であることなのです。
 ここで確認すべきことが、「それでは今あなたにとっての神の国の価値はどうなのか」ということです。「あなたにとって、神の国が喜びの源、あなたを生かしている源、生きる目的となっているのか」という問いです。“昔、バプテスマを受けた時の自分はそうであった!”とか、“何年前まではそうであった!”というのは何の意味のないことなのです。聖書は「今あなたにとっての神の国はどうなのか」と聞いているのです。ですから、神の国を生きるとは、重苦しい義務や責任でなく、感動と興奮をもたらしてくれる、代え難い喜びを日々味わいながら生きることです。イエス様の命が支払われたことによって、わたしたちが手にすることができた、何にも代え難い恵みと喜びが「神の国」です。ハレルヤ!