2012.3.11

『 嘆きを踊りに変えられる主 』(詩編30:5〜13)
 詩編30編は死の病にさらされていた詩人が主の助けによって癒されたことへの感謝を表した詩です。わたしたちの人生において、特別な問題もなく平らな道を歩くような時にはすべてが自分の頑張りや努力の結果であると思いがちです。しかし、ある日、突然襲ってくる病とさまざまな苦難に遭うと、たちまち恐怖と悩みに覆われ、神がわたしから御顔を隠されたと思い込み、落胆してしまいます。
 すべての道が閉ざされたと思われたその時、わたしたちは最後の望みとして、創造者であり救い主である神に助けを慕い求めるようになります。涙と叫びの祈りがしばらく続く中でわたしたちは悟るようになるでしょう。たとえ一時でも、わたしたちが神に忘れられたことも、見捨てられたことも、御顔を隠されたこともないことを。それはただ、神の沈黙の時であって、神はやがてわたしたちの祈りに応え、再び喜びの場所へと導いてくださいます。“涙の夜を喜びの歌の朝へ、嘆きが踊りへ、粗布を喜びの帯へ”と変えられる恵みを味わわせてくださいます。
 今日の詩人の体験こそ、わたしたちの体験です。忘れてはならないことは、われらの神は一時でも、神の子どもたちから目を逸らすことがないお方、神の子どもたちが味わう苦難に際して、すべてのことを御自ら背負われるお方であることです。“事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。”(ヘブライ2:18)
 受難節の時を過ごしながら、被災地と被災に遭われた方々のことを覚えるこの時間。苦しみの中で嘆き、悲しい涙を流している人に、手を差し伸べ喜びの踊りへと招いておられるイエス様がおられます。イエス様が招いておられる踊りは喜びの踊り、命の踊り、永遠の御国に至るまで続けられるべき希望の踊りです。主の手をしっかりつかみましょう。そして、イエス様がリードしてくださる踊りの場へと進みましょう。あなただけでなく、周りの人々をこの踊りへと招きましょう。ハレルヤ!