2012.3.18

『 主の求める働き人 』(マタイによる福音書20:1〜16)
 今日の聖書の物語は現代人の価値観ではどうしても理解に苦しむ出来事が紹介されています。12時間働いた人と1時間働いた人の賃金が同じく1デナリオンという…。
 物語に登場するぶどう園の主人の価値観こそ、天国における価値観であって、今のわたしたちが生きている世界の価値観とはまるで違っていることを教えます。わたしたちが生きている世界は当然のごとく、長く働いた人がもっと大きな賃金をもらい、働いた量や結果を見てすべてが決まる世界です。能力がある人が尊ばれ、もっと経験を積んでいる人が求められるのが当たり前のことです。しかし、天国においては違うのだとイエス様は伝えようとしているのです。
 興味深いことは、主人がわざわざ、最後に来た者から賃金を払うようにと命じていることです。もし、主人が賃金を最初に来た者たちから払ったとしたら、恐らく問題は起きなかったことでしょう。もともと、夜明けから来て働いた人たちに約束されていた賃金は1デナリオンでした。ですから、彼らは賃金をもらったらさっさと帰っていったことでしょう。そうすると、何ら問題なく済むことでした。つまり、イエス様はこの物語を通して伝えようとした意図があったわけです。
 当時、イエス様は話を聞いている弟子たちに本当の天国の姿、天国における大切な価値観を教えようとしていたのです。イエス様の前で常に「誰が偉いか」と背比べをしている弟子たちに伝えようとされた御心がここにあります。次の二つの言葉に注目しましょう。“しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。”(19:30) “このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。”(20:16)
 この二つの言葉の間に今日のたとえ話がはさまれているのです。即ち、この二つの言葉こそ、弟子たちが抱くべき御心であり、天国と今をつないでくれる神の切なる望み、また、わたしたちがしっかり携えて生きるべき宝物なのです。あなたは主の求める働き人として心の備えができていますか。溢れる恵みをくださる主を賛美しましょう。ハレルヤ!