2012.4.15

 『 愛から始まる 』(ヨハネによる福音書21:15〜17)
 聖書が教える神の別の名前は「愛」です。創世記からヨハネの黙示録まで、“神は愛です。”と言うメッセージで溢れています。しかもその愛の対象は他でもなく、「あなたとわたし」であると教えます。
 神はわたしたちへの愛のゆえに天と地、自然界を創造されました。また、神は愛のゆえに人を与え愛し合うことの素晴らしさを教えてくれました。愛のゆえに罪を犯した人に罰を与え、赦されました。また、愛のゆえにありとあらゆる奇跡を通して導かれました。何より、愛のゆえに独り子なるイエス・キリストを罪の世界に贈られ、愛のゆえに十字架の苦しみを味わわせ、十字架の上で命を捨てられました。そして、愛のゆえに死からよみがえり、再び来られる約束をしてくださいました。愛のゆえに助け主なる聖霊様を贈ってくださり、今も共に歩んでおられます。神を説明する時、「愛」を除いてしまえば、何も説明できなくなるのです。神は愛だからです。これこそ、聖書が教える「アガペー」の愛、無条件で完全な永遠の愛なのです。
 しかし、神の愛を受けて生きているわたしたちは、神の愛に対してどう応えているでしょうか。いつも自己中心で、損と得を図って動いているわたしたちではないでしょうか。口では「神を愛しています」と告白しますが、実際の生活の中では神を忘れて生きているわたしたちかもしれません。あなたとわたしへの神の片思いは今日も続いているのかもしれません。
 失敗者ペトロのところにイエス様が訪ねられました。十字架の死の前に3度もイエス様を知らないと嘘をついたペトロでした。イエス様を愛していると思っていたけれども、その愛が偽りであったことを悟ったペトロは失望と自己嫌悪の日々を過ごします。そんなペトロのところに、復活のイエス様が来てくださいます。そして、問いかけられます。「あなたはわたしを愛しているか」…。
 ここからです。愛から再び始まるのです。今までの自己中心で利己的な愛から、イエス様を中心に、十字架の愛にすがり、新しい愛を始めることです。ハレルヤ!