2012.4.29

『 慰めの子 』(使徒言行録11:22〜26)      
 私の使命は「教会づくり」です。教会は主によって呼び出された者の群れだということは皆知っています。「エクレシア」と呼ばれ、その言葉の最初の意味は、ギリシャ都市国家ポリスの民主的政治の「集会」を示す言葉でした。教会は、人の集まりです。ゆるされた罪人の集団です。ですから教会には、私たちの罪を源として様々な問題が起こって来ます。よほど気をつけていなければ、簡単に、神の御心から遠く離れてしまいます。イエス様の弟子集団にも、その後の初代教会にも、また、パウロの伝道によって生まれた多くの教会も、繰り返し問題を抱え、解決していかなければならなかったのです。神の愛のみが教会を建てます。 
 今日、私は聖書の中に登場するバルナバという一人の人物に焦点を当て、その働きに注目してみたいと思います。バルナバは「慰めの子」と呼ばれました。文字通り、多くの人を慰め、励ましたのだと思います。人が、「慰め」を感じるのはどのようなときなのでしょうか。自分の気持ちを理解してもらい、自分を正当に評価してもらったとき、私たちは、子どももお年寄りも、皆、元気になり、「もう一回やってみよう」というチャレンジ精神が旺盛になるのです。慰めは力の源です。
 教会つくりで大事なことは、私・あなたが慰めの子になることでしょう。バルナバは、自分が前面に出るよりも、他の人を生かし、その人を慰め、励ましたことがみ言葉が示しています。彼はそのようにしてパウロを伝道者に整え、また、パウロとケンカをしてまでも若い伝道者を庇いながら育てました。教会には慰めの子が必要です。信徒も牧師も慰めを必要としているのですから。あなたがその鍵を握っているのです。

                            田口昭典