2012.5.27ペンテコステ

『 命をもたらす聖霊 』(エゼキエル37:1〜14)
 エゼキエルが預言活動をしていた場所はバビロンの地でした。エルサレムから連れ去られ捕囚の民として生きていた人々の耳にエルサレム町と神殿が完全に破壊されたという知らせが届きます。捕囚の民にとって最後の希望であったのがエルサレム神殿でした。彼らにとって最後の希望の綱が神だったからです。しかし、神の神殿さえも滅ぼされてしまったことは完全な絶望を意味するものでした。
 そのような状況の中、神はエゼキエルに枯れた骨の幻を与えられます。枯れた骨で埋め尽くされた谷間は、死体で埋め尽くされたエルサレムの町、また、生きる希望さえ途切れてしまったイスラエル共同体の現実を表すものでした。そこでエゼキエルの耳に聞こえてくる神の声がありました。その声は神のエゼキエルへのチャレンジでした。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」(3節)…当然、「いいえ、できません」と答えるしかない状況でした。しかし、エゼキエルは答えます。「主なる神よ、あなたのみがご存知です」と。このエゼキエルの言葉には神こそ、「命の神、創造者なる神」であることへの信頼と信仰がその背景にあります。…エゼキエルの答えを聞かれた神は再びエゼキエルにチャレンジされます。「これらの骨に向かって預言しなさい」(4節)と。骨に向かって預言するということは意味のない無駄なことでした。しかし、エゼキエルは神のチャレンジに応えて骨に向かって預言し始めます。彼の目に見えるのは絶望であって人間の理性から考えて可能性ゼロの状態ではあるけれども、にもかかわらず、エゼキエルは神から命じられた通りに骨に向かって預言します。これが信仰者の生き方です。自分には理解できなくても神の御言葉通りに従うこと、そこから神の命の奇跡聖霊リバイバルが始まるのです。エゼキエルが神の言われた通りに預言すると、“骨と骨とがつながり、筋と肉が生じ、皮膚がその上をしっかり覆うようになりました。”(7〜8節)そこに、神の息(霊)が吹き込まれることで生き返ることになりました。第二の創造です。ハレルヤ!