2012.6.3

『 神に代わって告げる人 』(エゼキエル3:16〜21)
 聖霊をいただいたことで、あれほど恐れにおびえていた初代教会の人たちはいつの間にか人々の前で堂々とイエスはキリストである!と語れるようになりました。今までエルサレムさえも離れることができなかった人々が、汚れた地サマリアへ、また、異邦人のギリシャ・ローマへ、地の果てと言われるところへと広がっていたのです。彼らを待ち受けていた迫害や殉教をも恐れず、証人としての生き方を選ぶようになったのです。当時の初代教会の生命力、その活気と力動性は凄まじいものでした。聖霊が来られた日から訪れた著しい変化、それは言うまでもなく「伝道への熱心」でした。使徒言行録1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」・・・教会の存在の理由と目的は「伝道」にあります。これを失っている教会は命を失っているのと同じです。
 今日のエゼキエルに命じられる神のメッセージは今を生きる教会とキリスト者の備えるべき伝道への姿勢について教えています。少し厳しいとも受け取れる内容ですが、それほど神の人々を救おうとされる切なさが表されていることでしょう。
 本文には神の人に求められるイメージが「見張り人」として描かれています。特に、イスラエル共同体と民らに迫ってくる裁きについて警告し、悔い改めへと導く働きをする人を「神の見張り人」だと呼んでいます。しかも、見張り人になる人のもつべき姿勢こそ、「神に代わって告げる人」(17節)というものでした。世の人々は神を見ることができませんし、神の言葉を聞くこともできません。そのため、神はわたしとあなたを通して神の言葉を語り、神の姿を現す者と選ばれたのです。「神に代わって生きる人」がわたしたちキリスト者なのです。あなたは神に代わって御言葉を伝えているでしょうか。また、人々があなたを通してイエス様の姿を見ることができるでしょうか。神から与った言葉を正しく語り、正しく生きる者になりましょう。ハレルヤ!