2012.7.1

『 イエスの質問に生きる 』(マタイによる福音書16:13〜20)
 人の人生は神の質問にどう答えるかによって決まると言っていいでしょう。神は人を尊く造られ、一人一人に固有の賜物とふさわしい道を備えておられます。誰一人としてこの神の御心から除外される人はいません。ただ人が、神の存在とその声に気づくことによって、その人生が意味のある人生になるか否かが決まるのです。
 今日の聖書箇所でイエス様は弟子たちに質問されます。まず、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」(13節)と。当時の人々の見方もさまざまでした。人々は、洗礼者のヨハネ、あるいはエリヤ、エレミヤの再来だと答えました。そこでイエス様は本当に聞きたいことを弟子たちに向けられます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(15節)と。
 私たちがイエス様のこの質問にどう答えるかによって、私たちの人生は決まります。この質問への答えによって、イエス様と関係のない人として生きるか、ある程度のつながりをもって生きるか、じゃなければ、イエス様を中心として永遠までも続く深い関係をもって生きるかが決まるのです。ですから、この質問こそ、私たちの人生における最も大切な質問なのです。あなたはどう答えますか。
 イエス様の質問にペトロは答えて言いました。「あなたは生ける神の御子キリストです。」(16節)・・・この答えがペトロの人生を変えることになりました。イエス様はペトロが思っても見なかった祝福の言葉をプレゼントしてくださいます。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(19節) 私たちの人生の祝福の源は「イエス・キリスト」にあります。その方を「わが主、わがキリスト」として迎え入れ、答えることで私たちの日々は満たされるようになるのです。だから、私たちの毎日が「私にとってイエス様は何者なのか」という質問にしっかりと答えられる私たちでありますように・・・。ハレルヤ!