2012.7.8

『 冒険の人生 』(マタイ福音書14:28〜33、ヘブライ11:6)
 私たちの人生は冒険の連続であると言えるでしょう。生まれた時から私たちは早速冒険の旅を始めます。入園、進学、結婚、子育て、職業など、すべてが人生の方向と質を決めるとても大切な冒険であると言えるのではないでしょうか。その中でも「何かを信仰する」ということは、その人の永遠までも決めてしまう冒険ではないかと思います。
聖書の中には、冒険の旅に出かけていった人たちが数多く紹介されています。アブラハム、ノア、モーセダビデ、ペトロ、パウロなどなど、聖書の人物のほとんどは冒険家でありました。特に、ヘブライ11章は冒険した信仰の人が数多く登場します。そして、冒険家たちを紹介する際に必ず付け加える言葉があります。「信仰によって」という言葉がそうです。即ち、「信仰によって」彼らは冒険の旅に出かけることが出来たと教えているのです。
 それでは、彼らは何を信仰したというのでしょうか。一体何を信じて冒険の旅に出かけたのでしょうか。その答えとして、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」ヘブライ11:6)と教えています。彼らは、彼らを訪ねられ語られた「生きている神」を信じたのです。そして、神の「語られた御言葉」を信じたのです。天と地を造られ、今も生きておられる神を信頼できた人が「冒険の旅」に出かけましたし、今もその「信仰によって」出かけることができるのです。
 今日の本文のペトロも同じでした。「来なさい!」言われるイエス様を信じたのです。だから、ペトロはすべてをゆだねて小舟の外へと飛び出すことができましたし、湖を歩くという奇跡を体験できたのです。「あなたは冒険の旅に出かける準備ができましたか。」
信仰の冒険の一歩を踏み出す人に与えられる祝福を味わいましょう。