2012.8.12

【恵みの糧】
  『平和、祈りのうちに与えられる賜物』
             〜ヘンリ・ナウエンの「平和への道」の中から〜
 “3人の友だちがいて、皆熱心な働き者で、一人は「平和をつくり出す者は幸いである」という教えに基づいて、紛争の中にある人々の間で平和活動に献身することを選びました。二人目は病人を見舞うことを選択しました。三人目は砂漠の静寂の中で生活するための旅に出ました。最初の人は紛争の中で一生懸命働きましたが、全ての問題を解決することが出来ず、病人を見舞っている友人を訪ねました。そしてその友人も行き詰って、くたびれ果てているのを発見し、二人とも砂漠で生活している友人の所に行くことにしました。彼らはその友人にいろんな困難について相談し、彼が砂漠で何をしていたかと尋ねました。彼はしばらくの間だまっていましたが、器に水を注いで、彼らに見せ、「この水を見てごらん」と言いました。水面は揺れていました。しばらくたって、また見るように言ってから、水面が静まっているのを見せました。鏡のように水面に映っている自分の顔が見えました。そこで彼らにこう言ったのでした。
「人間もおなじように人々の雑踏の中で生きている時には、いろいろな揺れ動きの中で自分の罪を見ることは出来ません。しかし、落ち着いた時、特に砂漠の中で、自分の欠点が見えてくるのです。」・・・(ベネディクター・ウォード『砂漠の教父たちの知恵』) 
 この話はまぎれもなく、心の静寂とは暴力や戦争によって引き裂かれた世界の中で、「よい気持ち」になる道ではなく、問題の一部としての自分に触れる道なのだということを示しているのです。祈りは霊的静寂へと導き、霊的静寂は戦争の起因となっている罪の告白へと私たちを導くのです。人々を和解させ、病人を見舞うことは大切なことですが、悔い改める心なしには何の実りもありません。静かな心の鏡の中で、自分の罪深さを見て、私たち自身も戦争をつくり出す罪深いものだと告白する時、初めて平和への道を謙遜に歩き始める用意が出来ているのかもしれません。ハレルヤ!