2012.8.19

『 和解者として生きる 』(Ⅱコリントの信徒への手紙5:16〜21)
 使徒パウロはキリストを心の中に受け入れて生きている人たちを指して、「新しく創造された者」だと宣言します。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(5:17)
 「新しく創造された者」とは、イエス・キリストの「十字架の贖いと復活の命」に出会い、内なる人が新たにされ、神の愛に生きることを心に決め、その信仰に生きることを誓った人たちを表す言葉です。そのような誓い、決断ということこそが、「キリストと結ばれる=in christ」という意味なのです。ですから、キリストによって新しく創造された者たちへと変えられた人たちは、これ以上、肉的な基準、この世の目に見える価値観で判断されてしまう存在ではないことを使徒パウロは私たちに教えているのです。
 続けてパウロは、「新しく創造された者」としてのキリスト者の使命を、「和解者として生きる」ことであると教えます。「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」(5:18〜19)
 「和解」とは、「分裂」を前提とします。罪の性質は分裂にあります。私たちの生きる世界は常に葛藤と分裂、争いの連続です。まず、私たちの心の中が激しい戦場となっていますし、家族の間も、私たちを囲む社会も、国際関係においてもそうです。パウロは教えます。「私たちを新しく創造された神は、神の人である私たちに神と世界の和解を実現する任務を授けられたのだ」と。今私たちがこの世界に生きている理由は、私たちを通して神の御心が現されるためです。神の御心こそ「和解者として生きる」ということなのです。キリストの手となり、足となって「和解の使命」に励んで参りましょう。ハレルヤ!