2012.9.2

 牧師館の周りに植えてしばらくの間、楽しんでいた野菜の収穫もそろそろ終わりに近づいています。トマトとキュウリ、ナスなど、ただただ土に植え、水と肥料を少しあげただけですが、素晴らしい実を与えつづけてくれました。そして今はそれぞれの野菜の枝や葉っぱはだいぶ枯れて最後の力を振り絞って小さながら実を結ぼうとしています。すべては植えてくれた主人に奪われて(?)しまうけれども、彼らは野菜としての実を結ぶ生涯を最後まで全うしています。野菜にとってはそれがただ一つの生きる意味、生きる喜びでしょう。ありがとう!
 私たちの人生も造り主の愛と栄光を現して生きることに意味があります。人はその人がどんな人生を歩んできたかより、それぞれ神の管理者として授けられた賜物と時間、健康、命をもって実を結び、その実をお返しする時がやってくることでしょう。私たちの人生の最後、息が絶える日まで、野菜が最後の命の力を振り絞って実を結ぶように、私たちも喜んで神からいただいた愛と命を楽しみながら歩み続けたいものです。シャローム