2012.9.23

『 古い人から新しい人へ 』        
                  エフェソの信徒への手紙4:17〜24
 「変わる、変革」ということは人間にとっての最も深い渇望であって望みではないかと思います。それは個人、共同体、国家においても同じです。今のままではだめだと、まったく新しく変わることで希望を見出したいという本能的欲望を私たちはもっているのです。しかし、希望や願いはもっていてもなかなか変わることの難しいのが私たちの現在ではないでしょうか。
 今日の聖書の御言葉は「変革」ということについて良い知らせを伝えてくれます。
古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。(22〜24節)・・・古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人を身に着ける、この道こそ「イエス・キリスト」との関係にあるのです。まず、「キリストに聞くこと」、もう一つは、「キリストに結ばれて教えられること」がそれです。すなわち、その人がイエス・キリストの言葉を聞いてイエス・キリストを救い主として受け入れ、生活がその方と結ばれることで、私たちは古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着けることができますし、新しい命をプレゼントとして受け取ることができるのです。キリストとの関係を除いては新しい人が生まれる可能性はないのです。
 しかし、私たちがキリストを心の内側に受け入れる瞬間、たちまち聖者のように完璧な人に変わるというわけではありません。これは、私たちの本質が変わったということです。今までは罪とサタンの奴隷として生きてきた古い自分であったけれども、今はイエス・キリストの十字架の贖いによって、神の子どもとされ内側に新しい人が生まれたという意味なのです。だからこそ、これからは新しい本質である神の子どもとしてふさわしい生き方を始めることです。私たちの本質が変わったということで、日々の生活や習慣なども一瞬に変わったわけではないのです。大切なのは、これからの歩みです。
新しいぶどう酒は新しい革袋が必要だからです。ハレルヤ!