2012.9.30

『 父の心 』(ヨナ書4:1〜11)
 今日の聖書の登場人物は預言者ヨナです。彼は新約聖書パウロのように、旧約聖書における異邦人伝道のために選ばれた預言者でした。私たちは普段旧約聖書を神と選民イスラエルの歴史であって、イスラエルを中心に考える神であると思いがちです。しかし、神は天地万物を創造された時から全人類の救いを望んでおられ、世界宣教のためにイスラエルが選ばれたことを聖書は証言しています。
 世界宣教のビジョンをもっておられる神はヨナにアッシリアの都であったニネベへの宣教を命じられます。しかし、その宣教命令はヨナにとってどうしても受け入れがたいものでした。祖国イスラエルへの愛国心と敵国への敵対心のゆえでしょうか。ヨナは神の命令に背いてタルシシュに向かいます。そこで、神は巨大な魚を用意されヨナを捕らえられます。ヨナは魚の腹の中で悔い改めの時を過ごします。その後、ヨナは敵国の都ニネベに神の裁きを伝えに行きます。しかし、神の言葉を伝えながらも、ヨナは父の心を知りませんでした。ヨナが望んでいたのはニネベが神に裁かれ滅ぼされること。ところが、夢にも思わなかったニネベの人々の悔い改めと神の赦しを目の当たりにしながら大きな衝撃を受けることになります。“神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。”(ヨナ3:10)・・・神の御心は罪人を裁くことでなく、罪人が救いを得ることにありました。即ち、神の御心と働き人の思いの間に大きな隔たりが出来ていたのです。
 最後に神のお言葉に耳を傾けましょう。“すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」”
 神の家族の皆さん、私たちの思いと価値を最優先に置くべきところ、それが父なる神の心です。神の御心を知ることに私たちの生きる理由と人生の目的があります。神の心とは言うまでもなく「愛」です。そしてその愛は限られた人たちへの愛ではなく、全世界の一人一人に等しく注がれる愛であって、一人も滅びることのないことを求める愛です。それが父なる神の心です。父の心は今も同じです。しかし、私たちはいつも父の心より、自分の国、自分の家族、自分のもっている「とうごまの木」にこだわって、神が本当に望まれる御心を裏切ってしまいます。大切なのは、何をするにしても、まず父の心を黙想すること、父の心に私たちの思いを合わせることです。父の心を生きることです。父の心が私たちの心となりますように…。ハレルヤ!