2012.10.28

『聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ』(ローマ 1:17、エフェソ2:8〜10) 
 1517年10月31日のドイツのヴィッテンベルク大学の教授であったマルティン・ルターは大学内の聖堂の扉にローマカトリックの問題を指摘する「95ヶ条の論題」を書いた一枚の紙を貼りました。この一枚の紙はやがてヨーロッパ大陸を揺り動かす宗教改革運動を勃発させることになります。
 ルターをはじめ、カルヴァン、ツブィングリなどの宗教改革者たちには共通する3つの信条があります。「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」がそれです。この信条こそ、過去、現在、未来をつないでくれる信仰の核心であって、今を生きるキリスト者にも同じく求められることであることに変わりはありません。
①聖書のみ=中世のカトリック教会では教皇の言葉や伝統などを聖書の御言葉と同じ権威をもつものと考えていました。ある時は教皇の言葉が聖書の御言葉よりも上に立つこともありました。しかし、キリスト者の立つべきところは聖書のみ、これは決して譲れない真理です。聖書はキリスト者の世界を見る窓であり、鏡のようなものです。聖書を通して世界を理解し、聖書を通して世界を見ます。いつも聖書の御言葉に自分自身を照らして御言葉にふさわしい姿に整えていくのです。
② 信仰のみ=“福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」(ローマ1:17)・・・使徒パウロが得たものは、救われるのは「よい行いや律法、宗教儀式」によるものではなく、神への信仰を通してのみ与えられるという確信でした。この信仰によって生きるという「信仰義認」の教理は、マルティン・ルターを通して明らかにされ、当時の世界を支配していたカトリックと世界をひっくり返し、人々に希望を持たせるものとなったのです。
③恵みのみ=人の努力や行いと関係なくイエス・キリストを信じて受け入れる時、神によって価なく与えられる恵みのプレゼントこそ救いです。だからこそ、私たち人は救われたことに関して神の前に誇ったり、自慢したりすることはできないのです。「100%神の恵み」に立つキリスト者が救いを生きる者であり、宗教改革精神を生きる者です。ハレルヤ!