2012.11.11

『 キリストに仕える者たち 』(Ⅰコリント4:1〜2)
“こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者と考えるべきです。”(4:1)
 パウロは私たちキリスト者を“キリストに仕える者”と教えます。この「仕える者」という言葉のギリシャ語は、“フィペレタス”と言いまして、昔の大きな船の一番下のところで漕ぎ手として働いていた奴隷のことから出た言葉です。
 当時の大きな船を動かすためには、櫓を漕ぐ多くの奴隷たちが必要でした。彼らは互いに力を合わせなければなりませんでした。もし、漕ぎ出す方向が定まらなかったり、少しでも櫓を漕ぐ速さが違っていたり、一人でも手を抜いてしまったりするとぶつかり合うようになったり、前に進めなくなってしまいます。そのために、ある一人の人が真ん中に立って、規則正しく信号を送って、皆がその信号に合わせて、櫓を漕ぐことで船を動かすことができたのです。使徒パウロは、今日のわたしたちに向かって“神様の船を漕ぐ奴隷たち”であると教えています。
 昔から教会を説明する時、よく船という言葉を使っていました。教会を建築する時も人々が座るところを「船」と呼んでいたそうです。なぜならば、一人一人が自分の席に座るということは、船の櫓を漕ぐために席に座ることと同じだというふうに考えていたからです。今、皆さんが座っているところには、目には見えませんが、確かに魯が置かれているということを覚えましょう。
 私は小泉町教会の神の家族の一人一人が、与えられた賜物をもって大切に仕えていく教会、福音を携えて航海を続ける命の船としての教会になることを夢見ています。健康な教会はパウロが語っているように、教会員一人一人がそれぞれの賜物をもって、それがどんな働きや奉仕であっても、忠実に神の国と主に仕える共同体です。聖霊の送られる信号に合わせて一人一人が各自に与えられている櫓を忠実に漕ぎ続ける時、教会は主に喜ばれる
命溢れる共同体に変わっていくことでしょう。ハレルヤ!