2012.11.18

『 いつも共に 』(ルカによる福音書24:13〜17、30〜35)
 冬は命ある被造物にとって最も厳しい季節です。しかし、いくら冬が厳しく、暗闇が深くても、必ず、命溢れる春がやってくることを知っています。これこそ、みどり児のお誕生を祝うクリスマスを迎える人の信仰ですし、「復活信仰」であるのです。何も見えない真っ暗な世界、すべてが死んでいるように見える冬の世界で、希望の光を見出し復活の新しい命を生きる人こそキリスト者なのです。
 今日の聖書本文には、エマオへの道に下っていく二人の弟子の姿があります。彼らはすべてをかけていたイエス様が十字架上で悲惨な死を遂げた後、失望と落胆に包まれてエルサレムを離れ、エマオへと向かっています。しかし、彼らには一つどうしてもあきらめられないことがありました。それは、イエス様への思いと愛でした。彼らが歩きながらイエス様についてずっと話し合っていたということは、ある意味、イエス様に対する期待を完全には捨ててなかったと言うことかもしれません。大切なことは、イエス様について黙想し、語り、質問し、対話をすることです。期待をもって聖書の御言葉を開くことです。その中に復活の主、希望の主が訪ねられ、御声をかけられ、再び心を燃やしてくださるのです。“二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。”(32節) 
 続けて、私たちの日常生活の中にイエス様を迎え入れることを心がけることです。エマオの二人の弟子が決定的に復活のイエス様の臨在を体験した場所は「食卓」でした。食卓とは私たちの日常生活の中心にある場所です。ある信仰の先輩は「食卓こそ、私が神と交わる聖なる至聖所だ」と告白していました。そうです。私たちがイエス様に出会い交わる場所を礼拝堂だけに限定させてはなりません。食卓をはじめとする、私たちの日常生活の現場がすべてイエス様を味わい体験する場所ですし、そこで献げる礼拝こそがクリスマスと復活を生きるキリスト者の姿なのです。あなたはイエス様がいつもあなたの傍らで共に歩んでいることを味わっていますか。ハレルヤ!