2012.11.25

『 神と私の初恋 』(エレミヤ31:2〜3、ヨハネ黙示録2:1〜7)
 クリスマスの季節を迎えようとする今の時、本日の御言葉を準備しながら、神との初恋について黙想していた一週間でした。そして、御言葉を通して神がどれほど切なる願いをもって、「初恋」の愛の回復を望んでおられるのかを感じることができました。
 ヨハネ黙示録に登場するエフェソ教会は、初代教会のうち、とても祝福された教会でした。使徒パウロによって教会が開拓され聖霊による大いなる祝福を経験し成長を遂げていた教会でした。まさに、エフェソ教会の信仰の姿はイエス様にとって誇りとすべきものでした。「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、・・・わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。」(2,3節)エフェソ教会はいかなる時においても決して揺れることのない「行い、苦労、忍耐」をもって勝ち抜いた教会であったのです。
 しかし、エフェソ教会には大切な一つが抜けていました。それをイエス様は「イエス・キリストへの初恋の愛」から離れたと言われます。「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」(4節)・・・命をかけてまで最善を尽くし、真実を守り続け、どんな困難にも乗り越えてきた。ところが、どういうわけか、その途中でイエス様との交わりを失ってしまう。外から見える姿は立派でしたし、成熟した教会とキリスト者のように見えました。しかし、イエス様の目に映るエフェソ教会の姿は、最も大切なキリストへの「初めのころの愛」から離れてしまったことでした。イエス様の求められるのは「愛」、しかも、「イエス様への初恋」の思いの回復であったのです。
エス様は御言葉を通して、初恋の回復は3つの過程が必要であると示しておられます。「どこから落ちたかを思い出すこと」、「悔い改めること」、「初めのころの行いに立ち戻ること」でした。あなたのイエス様への愛は初めのころの愛は変わっていませんか。イエス様の愛は最初から今まで変わったことはありません。 ハレルヤ!