2012.12.23

『 僕の身分になり 』(フィリピの信徒への手紙2:6〜11)
 メリークリスマス!!!
 先週は日本の国と韓国においてとても大切な出来事がありました。日本では総選挙が、韓国では5年1度の大統領選挙が行われたからです。この世の王や支配者は民の上に君臨し、支配し、いろんな重荷を負わせる存在です。しかし、人類の真の王なるイエス様はベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶で生まれ、生涯すべてを民のために与え続け、やがては十字架の上で命まで惜しまず注がれました。私たちの「真の王」となってくださるための第一歩、「クリスマス」の出来事です。
 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(6〜8節)
 今日の聖書箇所は「キリスト賛歌」と呼ばれ、初代教会の礼拝における讃美歌であったと言われています。まさにこの箇所には御子イエス・キリストをお遣わしくださった父なる神の恵みと、その御父の御心に僕としてどこまでも従順に従われて、その謙遜の限りを尽くしてくださった御子イエス・キリストの愛で満ち溢れています。このキリストの愛によるへりくだりに対して、教会とキリスト者は2000年の歴史を通して歌い続けてきたのです。
 それでは、「なぜ神は人となられたのでしょうか」。その答えはただ一つ、愛ゆえです。神が私たち人類を愛し、我らを罪と滅びから救おうとされた愛の熱情のゆえでした。愛のほか、クリスマスの出来事を説明することはできません。「インマヌエル、神は我らと共におられる」という名前と共に馬小屋の飼い葉桶のみどりごとして生まれた救い主は、どんなに貧しくても、どんなに汚くても、どんなにみすぼらしくても、世界のすべての人を救い共にいるために、その人の内にお生まれになり、その人を守り、光となってくださいました。これこそ最も大いなるクリスマスのメッセージなのです。
 私とあなたのもとに来てくださった神の御子イエス・キリストを、私たちはどのようにしてお迎えするのでしょうか。ヨハネ黙示録3章20節にこうあります。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」・・・まさに今、主は私たちを捜しておられ、心の戸を叩いておられる。わたしはあなたと共にいる、と約束されるインマヌエルの主を、クリスマス礼拝を献げる今、私たちのうちにお迎えし、主と共に生きる歩みを始めたいものです。ハレルヤ!