2013.1.20

『 信徒たちによる祈り 』(使徒言行録4:23〜31)
 エルサレム神殿の美しい門の前で、生まれながら足の不自由な人を癒すという驚くべき奇跡を起こしたペトロとヨハネはその後、「主イエスこそ救い主である」と、集まった民衆に向かって大胆な説教を始めます。そのことで、ペトロとヨハネは捕らえられ、宗教指導者たちの前で取り調べを受けることになります。しかし、二人はさらに大胆に、主イエス・キリストこそキリストであるということを証ししました。“ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は(イエス・キリスト)、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」”(12節)
 ペトロの迷いのない確信に満ちた言葉に対して、宗教指導者たちは戸惑いを覚えながら「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように」と脅してから釈放します。いよいよ本格的なキリスト信者への迫害が始まろうとしていたのです。
 釈放された二人が向かった先は「仲間のところ」、すなわち、誕生したばかりのキリストの教会共同体でした。そして二人は、自分たちの身に起こったことを残らず教会に報告します。・・・そうです。教会こそ、自分の身に起こったことを報告し共に分かち合うことのできる「仲間」であって「神の家族」なのです。特に今日の御言葉には、祈りの主体がペトロや使徒たちでなく、初代教会の「仲間」の信徒たちであったことに注目したいのです。教会の信徒たちは釈放された使徒たちを囲んで彼らの大胆な宣教の働きのために執り成し祈っているのです。一般の信徒たちが率先して弟子たち、すなわち指導者たちのために心を一つにして祈る。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。初代教会共同体の祈りはペトロや指導者が独占するものではありませんでした。教会の真の力は信徒たち一人一人が心を一つにして聖霊に満たされ祈ることから発揮されるのです。ハレルヤ!
“祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。”(31節)