2013.1.27

『 教会の岩となる人 』(マタイによる福音書7:24〜29)
 今日お読みしたイエス様のたとえ話は、あの有名なイエス様の山上の説教の結論の部分で、イエス様の長い山上の説教のまとめとなる大事なところなのです。山上の説教はクリスチャンでも、未信者でもよく知られている有名なところです。“心の貧しい者は幸いである!”、“明日のことで思い悩むな!”、“狭い門から入りなさい!”、“あなた方は地の塩、世の光”など・・・本当に珠玉のような言葉が並べられています。
 そして、いよいよ最後の言葉として語られるのが、今日の御言葉です。
「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(7:24)…私は今日の御言葉を黙想しながら、小泉町教会の今年一年の歩みが浮かんできました。この一年、小泉町教会にも嵐や洪水のようなさまざまな試練が訪れるであろうと。そこで、小泉町教会は岩の上にしっかりと建てられて成長していくだろうか、じゃなければ砂の上の建物のように揺れ動いて倒れてしまうだろうかという・・・。本当に私たちの教会はどのようなところに基盤を置いているのか、岩なのか、砂なのか、・・・また、小泉町教会のお一人お一人は岩なのか、砂なのか・・・。
 「岩の上の家と砂の上の家」。皆さんにはどんなイメージが浮かぶでしょうか。「岩」は動きません。どっしりしていて、地震、嵐、洪水といったどんな天災にも決して揺れませんし、耐えられるのです。イエス様はその岩の上に教会を建てられると言われているのです。しかし、「砂」はちょっとした雨や刺激にも揺れて、流されてしまいますし、すぐバラバラに離れてしまう性質をもっています。ですから、砂の上には家を建てることはできないのです。
 そうです。神の家族一人一人が岩のような教会、一人一人がどんなことがあっても御言葉に立って、御言葉を生きる決して揺れ動かない岩のごとく主の教会を支える土台となるならば、主に喜ばれる教会としてしっかり建てられていくことになるでしょう。互いに砂ではなく、岩のような存在になることを心がけたいものです。ハレルヤ!