2013.2.24

『 井戸を掘り続ける人 』(創世記26:15〜25)
 本日の聖書の箇所にも一人の旅人が登場します。その名前は信仰の祖先のうちの一人、イサクです。大飢饉に襲われる中で、イサクがとどまった地域はペリシテ人の土地でした。大飢饉の中であっても神はイサクを祝福され100倍の収穫をくださいます。しかし、それがペリシテ人の妬みを買うことになり、いじめに遭います。ペリシテ人たちはイサクが一生懸命に掘り出した井戸をことごとくふさいでしまいます。やがてはその土地から追い出されるはめにまでなるのです。
 しかし、イサクは争いません。イサクは出て行きます。彼は文句を言ったり、つぶやいたりしません。彼は淡々と旅立ちます。彼を支えてくれたのは神の約束であり、神の導きへの信頼だったでしょう。そしてイサクが辿りついたところは、農作業もできないような谷の方でした。そこにも昔、父アブラハムが掘っていた井戸が幾つかありました。もちろん、それらの井戸はみんなふさがれていましたが、イサクは井戸を再び掘り直しはじめます。次々と泉が湧き出てきました。
 ところが、井戸を掘り当てると、今度はそこの土地の人々に井戸を奪われてしまうのです。それでもイサクは争いません。彼はまた、次の土地に旅立ち、そこに移って、また井戸を掘り始めます。・・・“もう疲れ果てて、もういやだ!もうできない!”とあきらめてもおかしくありません。しかし、イサクは井戸を掘り続けます。私たちはそのイサクの姿に感動を覚えるのです。
 私たちキリスト者は「井戸を掘り続ける人」です。私たちの行く先々で、命の泉を掘り続け、命の水を周りの人々に流す人です。どこに行ってもキリスト者は孤独かもしれません。しかし、その中で平和を作り出し、井戸を掘り続けるならば、今の時代の祝福の人イサクになることを主はチャレンジしておられます。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37) 私たちの内にふさがっている井戸を掘り出し、命の水を流すことのできる神の家族でありますように。ハレルヤ!