2013.3.3

 『 キリスト者と呼ばれる恵み 』(使徒言行録11:19〜30)
 成長を続けていたエルサレム教会にステファノの殉教の後、大迫害が起こります。そのため、多くの信者たちはアジアやヨーロッパ各地へと散らされることになります。以前にも話したように、初代教会の宣教はユダヤ人たちに限られていたので、異邦人伝道はほとんどなされませんでした。そんな中で、散らされた人たちがシリア州のアンティオキアに来てギリシャ語を話す人々に主イエスについての福音を告げ知らせるようになったのです。それがきっかけとなり、一瞬にしてアンティオキア教会は大きく成長するようになりました。少し前までは、誰も異邦人の地に教会ができると予想しませんでした。しかし、聖霊はアンティオキア教会を世界伝道のための基地として選ばれたのです。
 もちろん、アンティオキア教会がただ聖霊の圧倒的力だけで成長したわけではありません。教会と一人一人の信徒たちの生きた信仰の姿が教会を成長させたのです。特に、26節の“このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。”とあるように、アンティオキア教会はキリスト教歴史において初めて「キリスト者=キリストのもの」と呼ばれるようになります。それほど、アンティオキア教会と信徒たちの信仰の姿は周りに大きな影響を及ぼしていたのです。
 その具体的な姿を見てみますと、アンティオキア教会の信徒たちは①試練と迫害の只中で、主イエスの福音を告げ知らせることをあきらめませんでした。②どんなことがあっても主から離れることのない姿勢を貫き、そのために御言葉を学び、御言葉を生きる生活をしていたのです。③彼らは助けを求める人々に対して力に応じて、最善を尽くす援助を行ないます。即ち、「信仰と行ない」の良きバランスをもっていた教会でありました。
 周りから「キリスト者」と呼ばれることは恥ずかしいことでなく恵みです。彼らは生きている瞬間瞬間、主イエスのことを思い、イエスを語り、イエスを歌い、イエスを現す者です。「キリスト者」と呼ばれるあなたでありますように…。ハレルヤ!