2013.3.24

『 大胆に恵みの座に近づく』 ヘブライ4:14〜16
 本日の聖書本文のヘブライ人への手紙は、様々な試練と厳しい迫害に直面していた初代のキリスト者と教会に向けられた手紙であります。当時の教会とクリスチャンたちが受けていた迫害は大変なものでした。恐らく、「誰も私の苦しみを知らない」、「イエス様はどこにおられるだろうか」など、絶望に覆われる思いが教会とクリスチャンの間を捉えていた時代だったでしょう。そのような中で、本日御言葉の記者はあまりにも力強く大胆に語りかけてくれます。特に、イエス様を「大祭司」というイメージをもってメッセージを伝えてくれます。4章15節、
“この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。”
「大祭司」なるイエス様は、旧約時代の大祭司のように、動物の血をもって神の前に進み出るのでなく、イエス様ご自身の十字架の上で流された血潮、十字架の犠牲の死をもって神の前に進み出て、聖なる神と罪ある私たち人の間を執り成し、懸け橋となられたお方として紹介されています。そのおかげで私たちは、神様に赦された者になったのです。そうです。「真の大祭司なる神様の独り子」が私たち人と同じくこの罪の世界にお生まれになり、生涯を私たちと一緒に歩まれ、私たちと一つになって下さった。また、イエス様は私たちの罪、私たちが犯したすべての悪を引き受けて、身代わりになって十字架の上で死刑に処せられた。だから、今日のヘブライ人への手紙の記者は、イエス様を「わたしたちの弱さに同情できない方ではない」と宣言しているのです。ただの「思いだけの同情ではなく、命をかけた同情をもって」私たちを愛し、私たちの弱さ、どんな試練をも引き受けてくださった。この大祭司なるイエス様のおかげで、私たちは今や、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づくことができるのです。
 受難週のこの一週間、私たちのすべてを同情され、あらゆる点において私たちと同様に試練に遭われたイエス様の恵みを具体的に体験できる神の家族でありますように…。ハレルヤ!