2013.6月2日

『 暗闇の中で光となる人 』          使徒27:13〜26
 異邦人の伝道者パウロは、伝道の働きに彼の人生と情熱をすべて注ぎ出しました。そんなパウロでしたが、彼の心には常に抱いていた一つの夢がありました。それは、当時の世界の首都として知られるローマに行って伝道することでした。しかし、この夢はパウロ個人の夢だけではありませんでした。この夢を与えられたのは神様であって、神様ご自身の夢でもあったわけです。そして、いよいよその夢が叶えられる神の時が訪れました。しかし、その夢は「鎖につながれた罪人 としての旅」でありました。しかも、その旅は死と生を分けるような大変な海の試練に襲われるものでした。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた。」(20節)
 私たちの乗っている人生という船もそうでしょう。私たちの望むままに、行きたいところ、止まりたい場所へだけ行けるものではありません。私たちの人生を私が決めているかのように思えても、実際のところ、私たちに決定権はないことを思い知らせてしまう日々でこそ、私たちの人生なのです。
「太陽も星も見えない」絶望の状況にパウロは光となります。イエス様は私たちキリスト者のことを「世の光」であると言われました。太陽も、星も見えない暗闇、救われる可能性が全く見えない絶望的状況の只中で、パウロの言葉と彼の存在は船に乗って死だけを待っていた人々の希望の光、命の光となったのです。
 愛する皆さん、わたしたちに襲いかかる試練は、わたしたちの信仰を小さくし、弱くするものとはなりません。また、わたしたちの価値や尊厳を否定することもできません。むしろ、わたしたちの内に働く試練と苦難を通して、それに勝る神の愛と臨在、それによる慰めを経験し、神の栄光を現しながら生きる者となっていくのです。ここに神の人の味わう特権、神の人が世の光となる理由があるのです。今、私たちが生かされている理由は、まだまだ神のためにやるべきことがあることを信じ、立ち上がる神の家族お一人お一人となりますように…。ハレルヤ!