2013年7月7日

 『 私の立っている場所で輝く 』    マタイ福音書6:26、28   閔 丙俊牧師

 今年に入ってベストセラーになった有名な本があります。「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの、一人のカトリックのシスターが々の生活の中で経験し思っていたことを聖書の教えに照らしながら素朴に書いた小さな本です。人々はこの本から何を得ようとしていたでしょうか。それは、生きる勇気でしょう。希望と慰めでしょう。失敗している人々、自信をなくして自分には
何もできないとつまずいている人々に向けて、「違う、そうではない。あなたは存在するだけで素晴らしい。あなたの置かれたところでゆっくりと、笑顔で生きながらあなたのもっている花を咲かせなさい」と声をかけているのです。
 これはまさに聖書の教えそのものなのです。イエス様は御言葉を求めて野原にやってきた人々に向かって、「野の花を見なさい!空の鳥を見なさい!」と言われました。名も知らない野の花々、また、空を飛ぶ鳥たち。それぞれが、与えられた場所、もっているものをもって輝いている。誰かがそこに種を蒔いたわけでもなく、草むしりをしてくれたわけでもない。また、彼らに誰かが餌をやって育てているわけでもない。しかし、彼らは創造されたまま、それぞれの場所で、それぞれの生き方で、また、与えられた命をもって、誰の目を意識することもなく輝いているということです。イエス様は野の花、空の鳥を言われた後、この世のどんな存在よりも尊く創造された私たちに向かって、「あなたは、この世の価値観、周りの人々の目などを気にすることなく、あなたの立っている場所で、あなたのもっているものをもって、それぞれ自分の生き方を貫きながら輝きなさい!」と、これこそ神が私たち人を造られた目的であると教えられました。
 聖書が何よりも強調していることは、「愛されている存在として生きない!」ということです。創造者なる神の大切な愛のご計画のもとでこの世に生まれ、神の独り子イエス・キリストが命を捨ててまで愛して救おうとした存在があなたであるということを忘れないで!ということなのです。人の愛は条件が変われば変わってしまいますし、状況によってその価値が変わるものです。しかし、あなたへの神の愛は変わらないもの!あなたが置かれた状況、あなたを取り囲む条件が変わってしまうことがあっても、父なる神のあなたへの愛の価値は変わらない!ということを聖書は繰り返し教えているのです。
 どうしても咲けない時、輝けない日があるでしょう。それでも失望することなく花を咲かせる日を期待しつつ、根を下へ下へと下ろすことです。あなたのうちにある宝石を後の大切に磨きつつ、輝かせてくださる神の時を待つことです。神の目に尊くない人は一人もいないからです。

“わたしの目にあなたは価高く貴い。わたしはあなたを愛している。”
                      (イザヤ43:4)