2013年7月21日

 『夢を持ち続ける事』   コヘレトの言葉11:6  田口昭典牧師
 
 私は金沢教会の牧師として奉仕し始めて18年が過ぎ去ろうとしています。個人的な考えでは、国内宣教師として派遣されたとき、大体4年から6年を考えていました。教会復興を終えて、次の働きの場へと進みたいと考えていました。
 しかし、結果的に相当長い年月を金沢で過ごす事になり、多分、この地で牧師としての仕事を終えるのだろうなあと、最近は考えています。30歳で牧師になり、最初の赴任地で12年奉仕しました。その後、連盟事務所で宣教部主事を一期4年間奉仕し、それ以来ずっと北陸の金沢です。ですから、私は牧師とては2つの教会しか経験していないのです。そして、この二つの教会は重い課題を抱えていました。
 今、牧師として何が出来たのか?何を大切にしてきたのか?と、自問するとき、実に簡単明瞭な答えが出てきます。それは、「夢を持ち続ける事」を大切にしてきたという事です。それは、ビジョンと言ってもいいですし、目標と言ってもいいのですが、とにかく、「ここに到達したい」というゴール、頂上をいつも目指していたという事です。
 コヘレトは「手を休めるな!」といいます。それは将来が見えないから、分からないからだ、といいます。わたしたちは「証拠」や「保証」あるいは「しるし」を求めます。しかし、しるしを求めるのは「邪悪な時代」だといわれます。私たちの信仰は、何か私たちの願い事が叶い、私たちの思い通りに事が進むから神を信じるのではないのです。コヘレトは「分からないから信じなさい」「何の保証も無いから励みなさい」と言います。
 私たちの人生の日々は厳しい毎日です。過酷な日々を私たちは行きています。どうにも思い通りにならない事が圧倒的に多いのです。しかし、聖書は語るのです。あなたの願いを手放すな!あなたの祈りを止めてはならない。祈り続け、期待し続け、夢を見続けよ!と。私たちが次の世代に残す事ができるものは、「夢」であり、「ビジョン」なのです。
 コヘレトはクールに人生を見ています。ごまかしません。平安が無いのに「平安だ」と言って、悪しき洗脳はしません。人生は大変だ。むなしい。過酷だ、と正直に認めます。そして、その過酷な日々を「おおらかに」「楽天的に」「軽やかに」励みます。私は瀬戸泰子さんの「安心して苦しむ」という5月26日の説教題に大いに励まされました。分厚い障害の壁を前にして、なおこの壁を超え、打ち崩し前進する力を「夢を持ち続ける」ことによって、わたしたちは主から頂いているのです。あなたの夢、教会のビジョンは何ですか?