2013年7月28日

『 心の壺を割る 』  ヨハネ福音書12:1〜8
 
 今日はベタニア村のマリアの信仰の“チャレンジ”を共に分かち合いたいと思います。イエス様はいよいよご自分の死が近づかれた時、ベタニヤ村に行かれました。
①なぜ再びベタニア村へ行かれたのか
 イエス様はこの前の箇所において、もうすでにベタニア村を訪れ、ラザロを復活させるという奇跡を行われました。ではなぜ再び、しかも死を前にしてわざわざベタニア村を訪れる必要があったのでしょうか。そこにはいつもイエス様の愛に答え、イエス様の歩まれるところに従い、ただひたすらにイエス様の御言葉に耳をかたむけ聞き入っていた信仰の人がいたからです。
②マリアはなぜ香油を注いだのか
 マリアは現在の価値で言えば約300万円以上ほどの値打ちがあるとされている高級なナルドの香油を、その石膏の壺を壊し、惜し気もなく注ぎました。イエス様は「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」このように言われました。ではマリアはイエス様が死ぬことを分かっていたのでしょうか。もしかしたら何かを感じとっていたのかもしれません。なぜならただ一ついえることは、マリアはいつもイエス様の足元に座り御言葉に耳を傾け聞き入っていた人だったといことです。(ルカ10:39)
③自分の心の壺を割ることができるか
 マリアは一瞬にして全てを、躊躇することなく100%をお捧げしました。
では、私たち自身はどうでしょうか。皆さんが今、一番大切にしていることは何ですか?様々な思いの中で握っているものを手放す勇気が必要です。信仰とは決断です。また信仰とは手放すことです。
 
 イエス様はマリアを信頼していました。なぜならマリアはいつでも、どんな時でもイエス様に専念していたのです。私たちもこのマリアのように、イエス様から信頼され、この人なら大丈夫だ、この人なら語ろう、なぜならこの人はいつも私の言葉に耳をかたむけているからと、言われたいですね。また、このマリアのような信仰の“チャレンジ”を共にしていきたいと思います。