2013年8月25日

『 心の武装放棄 』 北 芳正牧師   イザヤ2:2〜5 
(1)新しい戦いの始まり 68年前の8月15日は日本には悲しい日でしたが、全世界には喜びの日=平和実現の日となりました。武装放棄により資源の生活向上転用が始まったからです。多くの軍需用品が廃棄され、農林・漁業用品や鉄道・交通産業施設、道路・水道、電気・ガス、その他のインフラ整備へと向けられたのです。国際連合が結成され、飢餓対策、保健・健康、教育水準の向上が図られました。それと同時に「偶像崇拝」からの脱却を目指して「真の神礼拝」を目指す新しい戦いも始まりました。広島・長崎の災禍を見た世界は、「終わりの日」を予想させられ、「剣で殺す者は自らも剣で殺される。」口語訳聖書→ ヨハネ黙示録13:10 ことを自覚して、忍耐のうちに「新しい学び」=「新しい戦い」の必要を感じたのでした。
(2)イザヤ2章2〜5節の預言から 審判の主の言葉 → 剣を打ち変えて鋤を生産し、槍を捨てて鎌を砥ぎ直せよ。戦いを学ぶこと(新兵器の開発や、優秀将兵の育成など)を止め、「ヤコブの神の家」で、「彼の教える道」に行くことにしょうと奨められています。
(3)イエス様の遺言から ゲッセマネの祈りが終わって、すぐ後で、ペテロの戦いがありました。「平和の人になりなさい」マタイ5:9。「七度を七十倍するまで許せ」マタイ18章22節と教えられていたのに、剣を抜いたのです。その時主は剣の使い方の説明でなく、「元の鞘に納めること」と「仇敵の傷を癒し」を施され、聖書が成就するために=預言が成就するために、十字架へ = 罪の贖いの場 = 死へと向かわれました。即ち「武装放棄をは遺言とされたのです。
むすび イザヤは2章3節5行目で「われわれは光の中を歩もう」と言うのですが、原文では2行目の最初に、促しの言葉「さあ」が用いられています。自分一人だけでなく、隣の人にも呼びかけることなのです。 また主イエス様は遺言として「聖書の成就」「預言の成就」のため、すなわち父の御旨の沿う道を行こうではないかと、今日のわれわれに諭していられるのです。