2013年9月1日

 『 頭から胸へと旅立つ信仰 』   閔 丙俊牧師
                  マルコ10:15、詩編119:65〜72
 ある人は、私たちの地上の信仰生活における最も遠い旅とは、「頭から胸まで」の、数十cmの旅であると言われていました。私もそうであると思っています。信仰の言葉から言えば、「頭の知識的信仰から胸の感動ある信仰への旅」であると定義することができましょう。
 私たちはよく「何かを知っている」というと、頭の知識としての概念で考えがちです。そのために、いろんな知識を頭に収めようと子供の時からたくさんの本を読み、勉強を続けてきたわけです。しかし、聖書が教えている「何かを知っている」という概念は、頭の知識とは程遠い、肉体の触れ合いを含む全人格の体験を通して得られる知識のことを指していることが分かります。
 本日イエス様は、私たちに子供を例えとして、「子供たちのように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われました。子供たちは何か豊富な知識をもっていろいろと頭を働かせて何かを求めるわけではありません。むしろ、自分たちの信じていることへの確信の表れとして心の動くまま素直に行動へと移す存在です。すなわち、「あなたの信仰を子どもたちのように、頭の知識的信仰から、胸で信じて、信じたことを生きる信仰者へと変えなさい!」というイエス様からの願いであって、チャレンジなのです。
 また、もう一か所の詩編119編の御言葉の中で、詩編記者が悟った真理とは、神の御言葉を知る本当の知識がどれほど大切であるか!ということでした。そのために、彼は御言葉を楽しみとし、御言葉を幾千の金銀に勝る恵みとして受け入れようと心がけているのです。そうです。御言葉を生きる。頭の知識から胸の感動へと御言葉が生きて働くクリスチャンの姿こそ、世界を変え、神の国を広めていくイエス様の弟子としての新たな旅を始めることになるのです。
 胸で神を信じ、聖書を胸で読み、胸の感動をもって生きる人、胸で子どもを
産み育てる人、また、胸で仕事につき、胸で神と人を愛する人…。その人は神に喜ばれ、証し人となるでしょう。ハレルヤ!