2013年11月10日

『 祈りはきかれるのか 』  ルカ22:39〜46
 私たちクリスチャンにとって祈りとみ言葉は信仰生活の基本であり中心です。私たちは祈ることができます。それは自分のことはもちろん、家族や兄弟姉妹のこと、さらに会ったことのない人のためにも祈ることができます。それが特権でありまた喜びでもあります。祈りは国境を越え時空をまたぎ天につながります。しかし時に私たちは祈れなくなることがありませんか。なぜ祈るのだろうか、果たして神様は本当に私の祈りを聞いて下さっているのだろうかと疑問に思うことはありませんか。なぜ私たちは祈るのでしょうか。祈る意味はあるのでしょうか。果たして祈りは聞き届けられるのでしょうか。
①祈りとは神との唯一の交わりの方法である
 祈りとは私たちの一方的な願い、訴えではなく、互いに気持ちが通じる信頼関係の表現であり、対話、すなわちキャッチボールなのです。
②自分の願いではなく神の御心を祈る Ⅰヨハネの手紙5:14 
エス様はご自分の死を前にしてまでも自分の願いではなく主の御心のままにと3度も同じ言葉で祈られました。それでは神の御心ならば全てが最初から決まっており、私たちの祈りは意味のないものなのでしょうか。違います。神は私たちの祈りと悔い改めによって思い直される方であることも忘れないで下さい。私たちの祈りによって主の御心をかえることができるのです!
③祈りは必ず答えられる マルコ11:24 ヤコブ4:3 マタイ7:7〜11
⑴祈り求めた通りの答え ⑵時がきて実現する答え ⑶期待したものでない答え
 イエス様は「求めなさい。そうすれば、与えられる。」と言われました。私たちが本気で求める時必ず与えられます。しかし、重要なことは求めたものすべてを与えるとは言われていません。求める者に「良い物」を下さるのです。祈る事を諦めてしまっていることはありませんか。神を信じ確信をもって祈りましょう。お一人お一人が諦めずに今日のイエス様の姿のようにただひたすら主を慕い求めて祈るとき、神は必ず答えて下さいます。私たちの最も深い必要を満たして下さるのは神だけです。神は心から信頼に値するお方です。祈りが私たちを変えます。祈りが教会を支えます。