2014年2月16日

 「 礼拝から始まる 」   マルコよる福音書14:1〜11

 私たちの父なる神は創造の時から抱いていた夢がありました。
「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。」(イザヤ43:21)…そうです。私たちの父なる神はすべての造られた民を通して礼拝と讃美を受けることを望んでおられました。また、ヨハネの黙示録が描いている天国の様子の中心となるのが礼拝でした。すなわち礼拝こそ、神の変わらない関心事であって、キリスト者に最優先に求められる姿なのです。
 本日の聖書は「本当の礼拝者は誰なのか」について私たちに問いかけています。イエス様に愛され罪赦された一人の女性がいました。彼女は一生涯集めていた純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎかけました。その後、彼女はイエス様の足を涙で濡らし、長い髪の毛で拭い、イエス様の足に口付けをします。今彼女は何をしているでしょうか。彼女は今礼拝をしたのです。彼女こそ、真の礼拝者でありました。…わたしは礼拝者とは、イエス様に出会って人生が変わり、価値観が変わり、生き方が変わった人であると思います。いかに長い信仰生活をし、いくら豊富な聖書知識をもち、良き働きをしてきたとしても、その人が魂から変えられ、彼女のように自分自身を献げることがなければ、私たちは礼拝者とは言えないのでしょう。なぜならば、礼拝とは形でなく、真心から自分自身を献げる礼拝者たちによって初めて出来上がるものであるからです。
 私は望みます。私たち小泉町教会の礼拝によって人々がイエス様の愛と聖霊の臨在に触れ、変えられる喜びの出来事が起こされることを!真の礼拝者が誕生する生きた礼拝が私たちの献げる礼拝となりますように…。「あなたは礼拝者でしょうか。」
 イエス様は今も、真の礼拝者を捜しておられ、私たちの礼拝を覚えられ、私たちの礼拝を通して救いの業を成していかれることでしょう。神の教会とキリスト者の歩みのすべては真の礼拝から始まるのです。ハレルヤ!