2014.4.20

 受難週であった先週の一週間、韓国で旅客船が沈没し多くの犠牲者が出たという悲しいニュースが流れていました。犠牲者のほとんどが高校生で、子どもを先に天に送る親の悲しみは言葉では言い表せないものです。特に、今回の災難が人災であって、十分防ぐことのできたはずの事故であったために心が痛みます。また、ロシアとウクライナの間で繰り広げられている戦争の噂を耳にしながら、人間と国家、権力者たちの罪と欲望の深さを再三教えられています。
 今現在も多くの地域、国家の間に戦争や紛争が絶えず起きていますし、いつどこで、どんな自然災害が起きてもおかしくない日々ではないしょうか。そこで聞こえてくる十字架上のイエス様の叫びがありました。「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」(詩編22:1)・・・どうすることもできない絶望の状況、突然訪れる災いを前にして、私たちの代わりにイエス様が叫ばれ、私たち人類のすべての絶望や罪、病と破れ、汚れをすべて背負い、その代価としてご自身の命を献げてくださった。そして、お墓の絶望を打ち破り、甦られたイエス・キリストの十字架の愛にすがり、復活の主に希望をおいて生きることです。シャローム