2014.4.27

『最後の最後まで』(ルカによる福音書23:39〜43)

 私たちは創世記からの聖書の御言葉を通じて語られる大切なメッセージとして、“罪人を救おうとされる「神の熱心」”ということを学んできました。神のご計画と神の国の完成のためになされる神の熱心は大いなる御業と神の人々、預言者たちを通して示されました。そして、神の熱心は「イエス・キリスト」によってはっきりと目に見える形として私たちに現れたのです。
 イエス・キリストの誕生から十字架に至るまで、イエス様は父なる神のご計画と御旨を成し遂げていかれました。イエス・キリストの十字架は、神の私たちへの愛の熱心が最もよく示されている出来事でした。特に、イエス様がこの世における最後の命を燃やされていた十字架上での二人の犯罪人との交わりを通して示された、罪人を救おうとされる神の熱心は最後の最後まで続いていることが分かるのです。
 耐えられないほど激しかった十字架の痛みの中にあってもイエス様は一人の犯罪人の救いに力を注がれます。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)と願い求める犯罪人に対し、イエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)と応答される。イエス様はご自分の身に起きている耐えられないほどの痛みと苦しみの最中、命のある最後の最後まで一人の救われるべき罪人に手を差し伸べておられたのです。十字架刑に処刑されるほどの罪を犯した人で、死を目前にしていた時でした。この世の目から見ると、あまり意味もなく、どうしても希望の見えないと思われる瞬間でした。しかし、イエス様は今までの通り、一人の罪人に手を差し伸べ、その人を受け入れ、愛に満ちた御声をかけてくださっているのです。「今日」、「わたしと一緒に」、「楽園にいる」、一つ一つの言葉が恵みでした。
 イエス様は、最後の最後とも思われる時であっても、ご自分にすがりついて来る者を受け入れてくださいます。私たちに求められるのは、「主よ、わたしを憐れんでください。私を思い出してください。」と謙遜に願い求めることです。それで十分なのです。イエス様が一緒におられるのです。ハレルヤ!
“今や、恵みの時、今こそ、救いの日。”