2014.5.11

『 神に近くある幸い 』(詩編73:21〜28)
 私たちの生きている世界は常に矛盾と非常識、不条理で満ちている世界です。今日の詩人も同じことを経験していました。特に神に逆らう者、悪しき者は栄え、死ぬまで苦しみを知らず、体も肥えている。彼らは健やかで病にもかからないし、悩むこともなく、彼らの高ぶりは天まで届くようなものでした。そこで、信仰者としての詩人が感じたのは無力感、空しさでした。また、神に対しての心の葛藤でした。
 そのような状況の中で、詩人に出来ることは神の聖所に向かうことでした。どうしても理解できなく、騒ぎ出す心をもったまま神の御前に訪れたのです。そして、詩人はその聖所で神の御心を悟ることになります。先ほどまであれほどうらやましく思い、妬んでいた悪人たちの終わりを知らされることになります。
 そして、そこで詩人が得た結論、“神に近くあることを幸いとする”という告白でした。今までの人生の中で、時には神がいないような、神が遠く離れて助けてくれないという寂しさ、神に捨てられたような悲しみから、詩人は今、「神様に近くあること、神に近づくことが幸いである」と告白しているのです。
 この世は、「幸い」を「目に見える条件や事柄」にかかっていると叫びます。お金、健康、仕事、肩書、成功などで人を判断し、幸いをそこから見出そうとしているのです。しかし、キリスト者は「神に近づくこと、それがクリスチャンの幸いの始まりであり、終わりである」ことを教えられるのです。詩人は27節で、「神から遠ざかる者は滅びる」と語ることで、私たち人間の人生とは、結局二つの生き方しかないと証ししています。「神に近くあり、神と親密な関係をもつか」、じゃなければ、「神から遠く離れて生きるか」なのです。いくら立派な成果を得ている人であっても、その人が神に遠く離れているならば、真の幸いは得られないのです。
 愛する神の家族の皆さん、皆さんと神様との距離はどれほど近いでしょうか。一定の距離を置いたまま信仰生活をしてはいませんか。「神に近くあることの真の幸いを知った詩人は「主なる神に避けどころを置く」ことを決めます。小泉町教会の神の家族が、日々神の御翼のかげに過ごす人の幸いを豊かに味わい、語り伝える証し人となるように…。ハレルヤ!