2014.6.1

『 一緒に食べて祝おう 』(ルカによる福音書15:17〜24)
 放蕩息子のたとえ話は、聖書における父なる神の愛を紹介してくれる最も偉大な物語であると言えましょう。
 私たちは本日の愛に富んだお父さんと二人の息子の話を通して、神を離れている罪人の姿を見出すことができます。放蕩息子のたとえは、当時イエス様が徴税人や罪人たちと親しく交わることに対して、ファリサイ派や律法学者たちがイエス様を非難することに対して語られた物語です。ここで、放蕩息子は徴税人と罪人たちを表し、長男はファリサイ派と律法学者を表します。だから、放蕩息子が罪人であるということは明確です。しかし、イエス様がこのたとえを語られる背景を見てみますと、イエス様はファリサイ派や律法学者たちも同じ罪人であるということを告発していることを忘れてはなりません。
 現代を生きている私たちはこの二人の息子の姿から、あなたと私の姿を見出すことができます。まず、私たちはみんな父なる神を離れ、心配ばかりかけていた息子であること、また、自分の利益だけに心が奪われて罪人の救いと兄弟愛といった本当の大切なものを失ってしまっていること、そんな中、父なる神の切なるお望みを理解することも、その御心を共有することもできない私たちなのかもしれません。
 私たちの教会は6月から新しい歩みを始めることになります。英語礼拝が始まり、伝道のためのプログラムを次々と続けることになります。ここで、私たちに求められるのは何でしょうか。それこそ、家を出てこの世をさ迷っていた息子を待ち続けるお父さんの愛と憐れみを心に抱くことでしょう。また、帰ってきた息子に対して最高の喜びと愛をもって宴会を開くような心の備えではないでしょうか。お父さんと一緒に喜び、兄弟愛で弟を迎え入れることです。私たちはすでにイエス・キリストの十字架の恵みをいただいて神の家族となりました。父なる神は、この世のすべての罪人が悔い改め、神の御胸に帰ってきて恵みの人に変えられることを望んでおられます。“お父さんと一緒に喜ぶ!”ここに私たちへの父なる神のお望みが示されているのです。ハレルヤ!