2014.6.8ペンテコステ

『 聖霊に満たされて 』(エフェソの信徒への手紙5:15〜20)
 本日、与えられた御言葉の中で使徒パウロは私たちに勧めます。“愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。”(15)聖書は教えてくれます。私たちがこの世のどんなものよりも神の知恵を求める時、そのことを神は最も喜ばれるということが聖書のあらゆるところに記されています。知恵ある者として生きるために、今日の聖書は“時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。”(16)と教えます。ここで、「時を用いる」と訳されているギリシャ語のもともと、「時を、お金を払って買いなさい」という意味です。これは「あらゆる機会を最善に用いる」ということです。いいかげんな時間の過ごし方ではなく、私たちの人生の一瞬一瞬を、心を込めて、あらゆる機会を、最善を尽くして十分に生かすことが求められるのです。それでは、どうして私たちは「時をよく用いる人生」を生きなければならないでしょうか。その理由こそ、今は「悪い時代だから」です。そして、私たちがこの悪い時代において、時をよく用いようとする時、最も大切に挙げられていることが、「今、神が私に望んでおられる御心が何であるかを知ること」だとパウロは続けて教えています。
 ところが、ここで生じる問題が一つあります。それは、神の御心のままに生きる力が私たちにはないと言うことです。 そこで、本日与えられた御言葉の中で最も大切な神からの命令が、「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされなさい!」(18)・・・聖霊に満たされることを必要としないキリスト者は一人もいません。キリスト者であれば一人残らず、必ず、聖霊に満たされる生活を主は望んでおられるのです。
 使徒言行録2章の初代教会の信徒たちは、聖霊の助けと働きによって、毎日神殿で祈り、家庭ごとに集い食事をし、主の晩餐の恵みに与りました。そして、互いの必要に応じて喜んで自分のものを分け合うことを実践しました。彼らの集いには、常に喜びがあり、感謝で溢れていました。これこそ、聖霊に満たされていたことの証しです。小泉町教会への主の御心もここにあるのではないでしょうか。聖霊に満たされることを慕い求めましょう。ハレルヤ!