2014.6.22

 『 祝福の源となる旅人 』(創世記12:1〜4)
 本日、私たちを神の御心へと案内してくれる人は信仰の父と言われているアブラハムです。彼は信仰の歴史において「冒険する信仰、旅立つ信仰」という新しい時代を開いた人でした。本日の創世記12章には神がアブラハムを訪ね、神のビジョンを分かち合える人として選ばれる場面が描かれています。「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」(1)
 2,3節には「祝福」という言葉が5回も登場します。祝福はヘブライ語「バラク」と言いますが、この言葉は、「繁殖する、生み出す力」という意味をもっています。即ち、神が与えられる祝福とは、ある日突然与えられる完成品ではなく、だんだんと広がって行く可能性に満ちているものであることが示されているのです。
 ここで、「あなた」とはもちろん、アブラハムを指している言葉です。しかし、聖書はアブラハムだけでなく、神の声を聞いて、御言葉に従い、旅に出るすべての人を指している言葉でもあります。私たちの神は行き先も知らずに旅立つ人たちと共に歩かれ、守られ、助けられる保護者となってくださる。行き先は知らないけれども、ただ神の守りの約束を信じ、喜んで旅立つ人こそ、神の導きと守りの恵みを味わうことになるのです。私たちはいつもよく知っている道、安全な道だけを行こうとします。しかし、信仰の道とは今まで行かなかった道を歩き出す勇気です。今日のアブラハムがそうでしたし、舟と網を捨ててイエス様に従った弟子たちがそうでした。また、ゲッセマネの園で祈りをささげられたイエス様の歩まれた十字架の道こそ、神の御心に従い、進んで行く勇気の道だったのです。ただ座り込んで心配しても道は開かれません。私たちの人生は冒険だからです。
 最後に、私たちの信仰生活とはアブラハムのように神の祝福を隣人とこの世に流していく通路になる過程です。クリスチャンは誰かに自分自身を隣人にプレゼントとなる人です。神の家族の皆さん、私たちまで届いた神の祝福の流れが、日々の厳しい生活のゆえに、途切れてしまっていませんか。祝福の通路となることこそ、私たちが味わい、誇るべき最も素晴らしい祝福なのです。神の約束された祝福に旅立つ幸いな人、幸いな教会に向かって信仰の旅にでかけましょう。ハレルヤ!