2014.7.20

『 柔和な人々は幸いです 』(マタイによる福音書5:5)
 山上の説教において与えられた八つの祝福の言葉を一つ一つ取り上げていますが、本日はその三つ目の祝福です。「柔和な人々は幸いです。その人たちは地を受け継ぐ」(5節)
 現代社会、現代人の求めているものとすれば、パワー、力ではないかと思います。権力、学力、財力、体力、これらのパワー、力を持っているか否かによって幸いが決められると言っても過言ではありません。しかし、イエス様は、この世で言うパワーをもっている人ではなく、「柔和な人が幸いである」と言われます。「柔和な人」が地、すなわち、全宇宙を所有する幸いがあるのだ!という大変驚くべき教えを語られているのです。
 聖書で教える柔和という言葉は、ギリシャ語で「プラオス」と言います。この「プラオス」は、「訓練を受けコントロールされている野生の動物」を表現する時よく使われます。野生の馬を思い描いて見てください。いくら素晴らしい馬であっても、その馬が訓練を受け、人が乗れるまでにコントロールされなければ、馬としての存在の意味もないのです。しばらく時間はかかりますが、訓練を通して飼い主と信頼関係を作り、野生性をなくしていく中で素晴らしい馬に変えられていくのです。このように訓練され、制御された時の馬や動物の状態を、「プラオス」と言うのです。
 これはまさに神の御言葉と御心に従順に従う姿です。この「柔和」というのは、福音の前で心貧しく、また悲しむ段階を経た人だけが抱くことのできる品性であると言えましょう。即ち、私が神の前でどれほど弱いのか、自分の内側にどれほどたくさんの罪があるのかに気づきながら、そこから打ち砕かれることによる祝福なのです。
 事実、イエス様は神ご自身であり、神の独り子、メシア、ありとあらゆる奇跡を起こすことができるお方でした。しかし、イエス様はそのような力を振るいませんでした。むしろ「十字架」にかかることで、神の国における真の力、真の幸いを貫かれました。実際、イエス様の柔和に倣い地を受け継ぐ幸いに生きる神の家族であるように…。ハレルヤ!