2014.9.7

『 宣べ伝える人がなければ 』(ローマの信徒への手紙10:13〜15)
 私たちは本日の聖書箇所の中で偉大なる聖書の御言葉に出会います。
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(13節)…この御言葉こそキリスト教の真理であり、全ての人に与えられた神の救いの約束とご計画の素晴らしさが最もよく示されていると言えましょう。「だれでも!」ユダヤ人だけでなく、ギリシャ人も、日本人も、韓国人も関係なく、また、差別することはないのです。ですから、「救い」とは決して複雑で、難しく大変なことではないのです。聖書の御言葉に目を開き素直に立ち向かおうとすることで分かる、何よりも易しくはっきりと迫ってくる教えなのです。
 それでは、これほどまで易しく確かなものである救いであるのに、なぜ多くの人が救いの道に入ることができないのでしょうか。それに関連して使徒パウロは14節〜15節でいくつかの質問を投げかけることでそれに答えています。「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」これらの言葉の語ろうとするポイントは、「福音を伝えるメッセンジャ」がいなければ救われることはできないということでしょう。すなわち、ある人が救いへと導かれるためには、誰かの伝えてくれる人がいて、その人の伝えるメッセージを聞くことで初めて信仰が芽生え、成長することで「主の名、イエス・キリストの名前」を呼び求めることができるのです。
 教会の最大の任務こそ、「人を遣わす」ということです。イエス様がまず、弟子たちを遣わされましたし、彼らに新たな弟子たちを遣わすことを命じられます。そして、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と、遣わされた人の働きを祝福される約束の言葉を与えてくださるのです。良い知らせを聞いた人は救いへと導かれ、救われた人は良い知らせを宣べ伝えるために喜んで遣わされていくのです。イエス様の派遣は時間や空間を超える連続的な出来事ですし、今もなお続くべき愛の命令なのです。