2014.9.14

『受け入れる人は誰でも』(マタイによる福音書10:40〜42)
                              −ローラ・フーシ―師−
 私はアメリカ南東部で育ちましたが、ここでは昔からずっと「ホスピタリティーという考えが文化として根付いています。「ホスピタリティー」とは、自分から進んで人の世話をすること、もてなすことです。
 日本のホスピタリティー「おもてなし」もよく知られています。私たちが日本に来て間もないころは、多くのことを誰かに頼らなければいけませんでした。でも金沢教会の人々がすぐに来て助けてくれる中、日本での暮らし方を学ぶことができました。
 本日の聖書の箇所は、イエス様が弟子たちに困難な伝道の旅に出るように指導されたあと、それでも彼らを快く迎えてくれる人々がいるだろうと励まされる中で、言われた言葉です。「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされたかたを受け入れるのである」。この一節に、イエス様が弟子たちそして私たちに授けられた、ホスピタリティーの教えが現れています。
 イエス様は弟子の働きを3つの異なる名で表現されます。預言者、正しい者。しかし、それらよりももっと大事な3つめは、弟子とは、この世の偉い人々に比べれば、小さな者だということです。力もお金もありません。自分で生活していくこともできない、子供のようにはかない者たちです。イエス様が弟子たちに語られたホスピタリティーとは、小さな者を迎え入れることです。弱くて、名も無き者、ともすれば忘れ去られてしまうような者たちを迎え入れるのです。
 どうか私たちが今いる場所から出て行って、信仰をもって他の人にホスピタリティーを差し出すことができますように。それは、イエス様にお仕えすることに他ならないのです。なぜならイエス様はわたしたちのもとに来られて、神様が私たちひとりひとりにくださるホスピタリティーの模範となられた方だからです。