2014.9.28

『 御言葉から礼拝へ① 』ネヘミヤ8:1〜12
 国が滅亡し、信仰の中心であったエルサレム神殿が破壊されてしまう。それだけでなく、バビロンによる捕囚の身となって70年。捕囚後のイスラエルの指導者たち、また、民の間にあった一つの問題意識は、“なぜ、わたしたちは滅ぼされたのか”ということでした。そして、その答えとして彼らは“神殿礼拝の回復と真の礼拝者の回復”にあったことを示されることになります。イスラエルは神を礼拝するために選ばれた民でした。それを失っていたからこそ、滅ぼされ捕囚の身になっていることを悟ったわけです。その日からイスラエルは再びエルサレムに帰ることを夢見ながら、失われていた礼拝者としての課題に取り組むことになります。いよいよ、神は
70年という捕囚といった訓練の期間を経て、イスラエルに解放を与え、エルサレム帰還という恵みを与えてくださいます。
 しかし、70年間の捕囚生活を終え、長い旅を経てエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちの目の前に広がっていたのは、荒廃していた町、住む家も食べるものもない厳しい状況でした。そんな中、帰還した民らはまず、神様を礼拝する祭壇を作ります。そして、神様に焼き尽くす献げ物を献げ、神の御言葉に従順に従うことを誓うことから新たなエルサレムでの生活を始めることになります。その日から、彼らに直面した課題は破壊されていた神の神殿と城壁の再建でありました。そのために、用いられていた人たちがエズラとネヘミヤだったのです。本日の御言葉には神殿とエルサレム城壁が再建された時の祭司エズラとネヘミヤの指導の下、イスラエルが御言葉に触れ、真の礼拝へと導かれる場面が感動的に描かれています。その姿を通して私たち失われていた礼拝者のアイデンティティーを再確認することができます。
 聖書は繰り返し私たちに教えます。神は建物としての神殿でなく、真の神殿であり、真の礼拝者としての神の民による真の礼拝の再建を望んでおられるということを。本日の御言葉を通して、本当の礼拝復興、礼拝回復は神の生きた御言葉に触れることから始まったことをしっかりと心に受け止めましょう。日々、神の御言葉に寄りすがり、真の礼拝者として主の前に立ち続ける神の家族でありますように…。ハレルヤ!