2014.11.23

 『 あなたは満足していますか 』(フィリピの信徒への手紙4:10〜13)
 フィリピの信徒への手紙は喜びの手紙として知られています。しかし、この手紙には使徒パウロの喜びだけでなく、彼の感謝、希望に溢れています。聖霊に導かれてヨーロッパ伝道の最初に出会ったフィリピの人々と教会は、パウロにとっては格別な存在となっていました。それだけではありません。フィリピ教会は初めの頃からパウロを祈りにおいても、経済的な支援においても惜しみなく支えてくれた教会でした。
 本日の御言葉の中で、パウロはフィリピ教会の信徒たちの献身的な支えに感謝を表しています。しかも、今パウロがいる場所は牢獄であって、すべてにおいて貧しく乏しい思いにならざるを得ない状況でありました。しかし、そのような状況に置かれているパウロでしたが、思いもよらない言葉を用いてフィリピ教会の信徒たちを励ましています。
 特に、本文の中で浮き彫りになっている言葉が「満足している。」という言葉でしょう。ここで、「満足している」という言葉は、“十分であり心が満ちている状態”を意味します。しかし、これは囚人として牢獄に捕らわれている者が言うべき言葉ではありません。少し大げさに聞こえますし、皮肉に思われないでもありません。それでは、どうしてパウロはこのような言葉を書いているのでしょうか。次のパウロの言葉にその応えがあります。「自分の置かれた境遇に、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっている」と言っている、すなわち、彼の置かれるいついかなる状況においても、決して揺らぐことのない土台の上ですべてのことを受け止めることができるという意味なのです。物が豊かな時には信仰が順調で、貧しくなると、信仰まで小さくなり貧しくなってしまうというのが私たちの姿かもしれません。もちろんそれと反対に、貧しい時はむしろ信仰に生き生きと命が溢れ、豊かになってくると信仰がぬるくなってしまう人もいるでしょう。
 しかし、パウロはいついかなる場合にも対処する秘訣をイエス様からいただいていました。だからと言って、この秘訣がパウロにだけ与えられたわけではありません。彼の生まれつきの賜物、努力によるものではなかったのです。「わたしを強めてくださるキリスト、その方のお陰で」、「すべてが可能」となるのです。パウロは4:5で書いているように、「すぐ近くにおられるイエス様」との親密な関係を通して得た恵みであり、秘訣だったのです。
 いついかなる場合にもイエス・キリストによって満足できるキリスト者、あなたです。