2015.1.11

『求め、礼拝し、捧げる』 (マタイによる福音書2:1〜12)
 先週の火曜日、1月6日は、クリスマスから12日目の日であり、「エピファニー」、日本語では「公現祭」の最初の日でした。これはキリストが世界の救い主であり、世界の光であることが明らかにされたことへのお祝いです。
 本日の聖書箇所である「三人の賢者」の出来事は、公現祭と深い関係をもっています。なぜなら、マタイのこの話こそが、わたしたちにイエス・キリストの福音の一番大切なことを教えてくれるからです。すなわち、福音はユダヤの民だけのためではなく、異邦人、寄留者たちもその光に従って歩むことを許され、キリストに会うことができるのです。
 賢者たちは遠くからキリストを探し求めてやってきました。どこへでも導かれるままに喜んで出かけていったのです。素晴らしい献身です。彼らは星を見て何か新しい、わくわくするような、追いかけずにはいられないものを感じたのです。豊かな感受性です。他の誰もメシアに気をとめなかったときに、よそ者と言われてもしかたがない彼らのほうが、信仰をもって探し求めに行ったのです。驚くべきことです。賢者たちはとうとうベツレヘムにたどりつき、キリストである幼子を見つけ出します。彼らが何よりも先にイエス様に礼拝を捧げたのは注目すべきことです。贈り物を捧げるよりも先に、まず礼拝でした。礼拝とは自分自身を捧げ自分の忠実を捧げることですから、それは黄金・乳香・没薬に先立つ最初の贈り物と言えるでしょう。
 このように、賢者たちは、わたしたちがどのようにキリストを探し求め、礼拝し、キリストに捧げようかということを、自分たちの身をもって示してくれます。この新しい年、私たちは賢者たちとともにキリストを訪ねてどこまで旅をすることができるでしょうか?今いる場所に落ち着いていたいかもしれません。でも、神様が見せてくださるあの星を追いかけてみませんか。きっと何かすばらしいことに導いてくれるはずです。私たちがイエス様に捧げる礼拝はどのようなものになるでしょうか?それは、あなた自身がイエス様を自分の人生のなかでどれだけ大切な存在と感じるかにかかっています。礼拝とは、私たちからキリストに近づいていくことです。礼拝の中でイエス様に対し、あなたに従います、とどれだけ強い思いで言えるでしょうか。2015年を始めるにあたって、賢者たちの出来事に心をとめ、この一年どのようにキリストを求め、礼拝し、自らを捧げていくか、想いを深める機会としましょう。                              ローラ・フーシー宣教師