2015.2.1

 『恐れるな』 ルカによる福音書12:1〜7
 イエス様はこの世の権力の前で恐れや不安のゆえに小さくなっている弟子たち、特に、これから迫害や命の危険にさらされることになる弟子たちを見つめながら、弟子たちに励ましと慰めのメッセージを語られます。「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。」(4節) イエス様は愛する弟子たちを「友人であるあなたがた」と呼ばれます。イエス様と弟子たちを象徴する表現です。弟子たちは3年ほどのすべての時間をイエス様と共にしていました。その共同生活の中で弟子たちはたくさんの奇跡やイエス様が神の子メシアであることを経験したはずです。しかし、それでも弟子たちは、依然としてこの世の権力や不条理、悪の前に恐れと不安を抱いていました。この世の風潮に捕らわれ、「真理があなたがたを自由にする!」という、神の人に与えられた恵みの次元に入ろうとせず、また、それを生きようとチャレンジすることもせず、人生における嵐に絶えず揺れ動いてしまう弟子たちであったのです。
 この世は絶えず、神の人の心に恐れという細菌を注入します。 “自分が人々より遅れてしまうのではないか、周りから忘れられるのではないか、周りからどう思われるか”などに恐れながら周りの評価や態度に応答しようと必死になっている現代人です。しかし、イエス様はこのような一次元的なことを恐れるのでなく、「本当に恐れるべき方、創造者なる神を恐れなさい」と宣言されます。
 神を恐れながら生きるということは「世界を創造され、人の生と死を治めておられる神を恐れ、神の主権を日々の生活の中で認める」ことです。神の御心が何であるか、神との愛の交わりの中で、神に愛され神を愛して生きる時、今まで自分を苦しめていた世の恐れと不安の鎖から解放されることになるのです。私たちの主イエス・キリストを真心から恐れ、十字架と復活の信仰を生きる人はこの世の力の前で小さくなりません。その人はこの世の悪しき力に振り回されることなく勝利者としての歩みを続けることになるのです。
「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(6〜7節)