2015.3.1

 『 信仰の土台 』(マタイによる福音書7:24〜27)
 家をリフォームする際に古い家屋が解体されるとき普段見えない部分がどのように造られているかが分かります。時には築何十年も経過し家を支えるための重要な柱や、基礎の土台の部分に繋がっていなければならない柱がボロボロになって折れていたり、明らかに危険である状態であることが解体してはじめて分かるわけです。反対に、外見は古くとも昔の職人さんが丁寧に建て上げた家であった場合は、リフォームする建築士の方が感心するほど頑丈に造られている家もあるわけです。日本では、数年前に建物の耐震強度を偽装する事件がおきましたけれども、建築物にとって一番重要な事、それはまさに土台の部分であるということははっきりと言えます。本日の聖書の箇所は、イエス様が家と土台の例え話をされた場面です。イエス様もその土台の重要性を語られます。では、私たちの信仰の土台はどうでしょうか?私は一年間の神学校での学びを終えて、一番感じたことがあります。それは私たちには揺るぎない信仰の土台が必要であるということです。
 今日のこの例え話には2人の人物が登場します。1人は、岩を土台として家を建てた人、もう1人は砂の上に家を建てた人です。彼らには一つの共通点を見ることができます。それは2人共がしっかりとイエス様の言葉を聞いて家を建てたということです。では、違いはどこにあるでしょうか?その違いはどのような行いをしたかという事です。この2人はどちらも家を建てました。しかし、その建て方に問題があったのです。1人は堅固な土台である岩の上に、もう1人は柔らかくて簡単な砂の上に家を建てます。みなさんならばどちらを選択するでしょうか。
 私たち1人1人にも、そして、この小泉町教会にもこれから様々な試練が待ち伏せているかもしれません。その突然襲って来る大きな大きな試練に打ち勝つためにはイエス・キリストという岩の上にしっかりとした信仰の土台を据える必要があります。健全な信仰の土台が形成されていればどんな嵐や試練にも打ち勝つことができます。 
                          宮田 祐亮神学生